【山形】雪中の山寺
jan.2017
山形駅から約1キロほど離れた訪問先へ向かうある日の朝。数日前の雪が残ってはいるものの、あまりにも気持ちのよい天気だったので街の散策をかねて35分ほどテクテクと歩いて向かった。すると訪問先の工房の方が「まさか、歩いてきたんですか?!」と目を丸くして出迎えていてくださっていた。
「ええ、いつもこのくらいの距離は普通に歩きますよ?」
「この辺の人間は歩きませんよ、近くてもクルマを出します……。しかも足元が悪いのに、ビックリしました」
訪問先の籐工房はかつて銀行だった立派な建物で、いろいろな作業を拝見しながら最後に乾燥室へ案内されると、最後に案内されたのは、なんと“金庫室”だった。温度変化に強い分厚い壁が恒温恒湿室のようで、籐の乾燥に最適なのだという。終始和やかな雰囲気だった打ち合せも終わり、よければクルマで駅まで送るからと言っていただくが、いえいえ歩きたいんですと再び徒歩で駅へ。途中、自家焙煎の珈琲豆専門店から良い香りが漂ってきたので、店の片隅で一杯いただく。さてこの後、飯でも食って帰るか? と話すと「折角ここまで来たんですから何とか調整して、明朝に山寺へ行ってみましょうよ。あの松尾芭蕉が句を詠んだお寺、ずっと行きたかったんです」とセガミから懇願される。
「いいけど……、それなら晩飯は山形牛の焼肉な」であっさり決定。街歩きしたことで街の構成を何となく理解できたので、お目当ての飲食街にほど近いビジネスホテルを携帯で予約し、ネオンが灯り始めた頃にはそそくさと出掛けたのだった。
早朝の道は鉛色に凍っていた。
食事もせずにチェックアウトしてバリバリと氷を踏みしめながら山形駅に向かうが、流石に地元の通勤客は安定感のある歩行っぷりだ。定刻通りに乗り込んだ列車は手動ドアのディーゼル車で、足元の暖房も程よく効いていてすこぶる快適。仙台への通勤客も多いというJR仙山線の車窓から見えるのは、白一色に染まる美しい田園風景。20分ほどで到着した山寺駅では数名の客と共に下車したが、1歩駅を出るとアイスバーンでツルツル。足元に注意しながら、おぼつかない足どりで歩き出す我々と違って、他の人々はあっという間に見えなくなった。
駅前の土産物屋も食堂もまだ開いておらず、人の気配もない。「なんだよ、土産も買えないのか」とぼやくと、「立谷川の橋にある観光協会か山寺に行けば何か情報がありますよ」と後ろを歩くセガミになだめられる。
川を渡り、結局開いていない観光協会を過ぎて門前町の参道を歩くと数分で登山口に到着するが、急な石の階段全体が氷でコーティングされたような状態になっていて、やはりツルツルだ。階段脇の雪を踏みしめながら登らないと相当危険だねと確認し合いながら、ゆっくりと登り始めた。
肩が凝るほど慎重に歩いた甲斐があって、山寺こと宝珠山立石寺の根本中堂に無事到着。ブナの建造物としては日本最古で1200年前に比叡山延暦寺から移された不滅の法灯が今も堂内で灯されているという。「この招福布袋尊、見たかったんですよ。布袋さんをとりまく子どもたちも愛らしくて、いかにも福を招きそうですよね」と言いながらセガミが賽銭を投げ入れたので、慌てて小銭を入れて手を合わせる。合掌が終わって、さぁ芭蕉が句を詠んだという“せみ塚”はどこだ? 山門はどこだ? と中堂の階段を降りて鳥居を目指すが、雪だらけでしかも参道はツルツル。「なんか景色も看板も雪まみれで、よく分からんなぁ」と、山門になんとか到着するが誰も居ない。山寺では、この山門で入山料を払わないと奥の院へ参ることはできないのだ。「そもそもこのアイスバーンでは、階段続きの奥の院まで行くのはさすがに無理かな」「でも張り紙も無いですしねぇ」。寺務所を覗いても人の気配がないので、こりゃダメだ諦めようと、本坊へ向かう。「ここ滑るよ」「はい」というふたりの掛け声だけが境内にこだまするなか、猫と戯れての休憩も挟みながら、蛙岩を抜けて無事に本坊へ到着するが、やはりここも人の気配無し。
「ここに居なきゃ、山寺の和尚さんも今日は休日やな。まぁ、こんな日に参拝するのは俺たちくらいだろうし致し方ないか」
折角だからと、境内に残る新雪にスノーブーツで足跡をつけながら向かった境内の端からは、雪景色の美しい門前の町並みが見えた。
「枯木寒岩な山寺も、まぁいいか。でも上まで登りたかったなぁ」
「また、蝉の鳴くころに来ましょうよ」
下りの階段に細心の注意をしながら下山して再び立谷川を渡ると、一軒の土産物屋が開いていた。
喜び勇んで注文した熱々の“たまこん”を寒さ沁み入るなかで頬張った味は格別で、書いている今も記憶に蘇る。しかしそれ以外は、次第に白い景色の想い出として溶け去るかもしれない。
[写真・文:前田義生]