【父島・母島】遥かなる小笠原
jan.2017
はて何年ぶりだろうか、この正月はまったく仕事を入れないようにしたマエダです。
あけましておめでとうございます。
せっかくの機会なので、以前から憧れていた小笠原諸島で初日の出を拝もうと、数カ月前から張り切って船のチケットと宿の手配を試みた。「試みた」と大げさに書いたが、これは案外大げさではなく、帰島する地元民やビジネスユーザーが絶対的に優先のため、我々みたいなトラベラーはその残りチケットを待つ必要があるのだ。盆と正月は特に多いので、自ずと倍率も上がるという訳。
ご存知かもしれないが、小笠原諸島・父島行きの航空機は存在しない。
東京都と言えど実に1000キロも離れた海洋島の小笠原村へは、竹芝桟橋から父島・二見港を結ぶ約500人乗りの『おがさわら丸』たった一隻の船で往復している。通常は6日に1便の間隔で運行していて、乗ってきた船は次の出航まで港に止まっている。つまり来た船に乗って帰る仕組みだ(一部繁忙期は除く)。しかも片道の航行時間は約24時間も要するから最低でも5泊6日の日程が必要で、必然的に島の滞在は3泊4日。この行程を現地では「1航海」と呼び、多くの観光客はこの1航海で本土へ戻る。だが嵐でもあろうものなら出発も未定となるので、精神衛生上「2航海」くらいの余裕が欲しいな、となる。宿泊日数の長い人にチケットが優先されるという真しやかな噂もあるし、何より宿がキチンと予約できないと船のチケットが取れないのだ(キャンプや野宿は禁止)。
このあたりは、八丈島や三宅島といった離島とはまったく旅の条件&気合いともに異なるところだ。
さて1航海だと小笠原には都合3泊と書いたが、1000キロ掛けての船旅で現地3泊ではさすがに少ないなぁと思う。何も無い島ではあるがゆえに、見るべき自然はあまりにも多すぎる。自生している植物も魚も見たことの無いものばかりだが、しかし島の半分は地元のエコツーリズム・ライセンスホルダーの方が同行しないと入山出来ないし、場所により海へ潜るのも許可がいる。
よって必然的にガイドさんと行動を共にすることになるのだが、彼らの豊かな知識はもちろん、かなり質問攻めにする自分もいて時間がいくらあっても足りない。
1日目の昼から泳いで(元旦から泳げるのだ)、2日目にジャングルを山歩きし、3日目にレンタルバイクなどで島内散策し、出発日の午前中に買い物などしたらハイ終了。ホエールウォッチも行きたい、イルカと泳ぎたいなどと言い出したらキリが無い。たまたま母島行きの日帰り便があったから今回は行くことができたが、タイミング次第では母島にも行けないのだ。
その母島は父島からさらに2時間の航海。船上では時折クジラも見れたりするし、港に着くとウミガメの産卵場所がすぐそばにあったりと非日常感はこの上なし。今回は正月だったので開いている店は皆無だったが、運良く“新春の海開きイベント”が浜で開催されていたので、「ウミガメの煮込み(無料で大判振る舞い!)」や欧米系の住民が好む家庭料理(小笠原の先住民は欧米人だ)「ダンプレン」などを、これまた振る舞い酒で一杯やり、元旦なのに27°の陽気にすっかり気も緩んで芝生の上で居眠りしてしまうくらいだった。
また、歴史の短い小笠原ではあるが、逆に波瀾万丈な逸話には事欠かない。地元で年配のお母さんに昔の事を聞くと「いまの母島は人口600人ほどの小さな島だけど、戦前・戦時中は映画館があるほど賑やかだったのよ」と語ってくれた。戦後は米国の管理下で米国人のみ居住が許され、日本人はすべて内地に移住してしまったから、父島は昭和43年(1968)の返還までは少数の米国人が住む「米国」になり、母島などは無人島になったのだという。先のお母さんが復帰時に母島へ帰島したら、山の上まであった畑もすべてジャングルなっていたとか。いまは世界自然遺産に登録(2011)されたから、勝手に畑などを開墾できず、それはそれで大変なのだそうだ。
東京都なのにグアムやサイパンへ行くよりも運賃が高く、移動時間は地球の反対にあるブラジルへ行くのと大差ない。船中の楽しみも重要な小笠原への旅。行きにくい場所であるが故、ネットではわからない事が多いのも魅力だろう。
細かな旅記録になっていなくて申し訳ないが、新年早々とても優しい島の人びとと出会えて幸せだった。あ、東京湾を出ると携帯が全く繋がらなくなることも、とても素敵な出来事だったな(笑)。
[写真・文:前田義生]