【言い訳】ようやく旅のひとやすみ
may.2018
読んでくださっている方がどれだけいるのかは分からないけど、ちょっと気になってjourneyのページへキーボードを叩く指を向けてみた。
実はちょっとではなく、かなり気にはなっていたjourneyのページ。1年前に呉の事を書いてから以降も、津、岐阜・白鳥、高松、会津・昭和村・三島町、長野、山梨、常磐〜浜通り、函館〜室蘭 etc…とさまざまな土地へと出掛け続けている。以上はいま記憶にあるだけだから、詳細に記録された我が店のスケジュールをひっくり返せばもっと出てくるだろう。僕がいつどこへ何をしに行ったのか、アムコのスタッフはまるっと全てお見通しなのだ、残念なことに。
さて、もっとリアルタイムで書けたら良かったのだが、昨年の半ばから今月まではいろいろとあり過ぎた。まずは店と事務所の“移転”。今年の2月に日本橋馬喰町から小金井へと引越しをしたのだが、それ以前の1年間は終業後や休日に物件を探しまわったり手続きをしたりと気が休まる日はなかった。そして個人的な事で大変恐縮だか、この5月に自宅を手に入れた。正確に言えば、半年以上を掛けて数十件の物件を見学したのちに購入し、同時にそれまでの自宅も販促を掛けてタイミング良く売れたという訳。これらは新店舗移転計画とほぼ同時進行していたから、実際には年末も年始も無いような状態だった。
自業自得と言われると、その通りである。いや自分を客観的に見ても「どうなの?」といった感がある。
常識的に考えると、大きな節目である「自宅購入」「仕事の拠点移転」は、旅以上に計画的でなければならないであろう、普通は。しかし自分にとってそれらは、人生という大きな旅路の途中にぶち当った、引越という「突発的な気まぐれ」である。言い換えれば僕の旅スタイルと同じで、細かな設計計画というよりは旅先で偶然の出逢いを求める感じなのだ。
例えば「なぜ小金井に移店したのですか?」と“頻繁に”聞かれるが、この際はっきり言いましょう、「直感ですよ」と。
そもそもそれらしい答えなど用意していないのでいつも困る。小金井は五日市街道と新小金井街道をたまに通るだけ(過去数回)でご縁は皆無。もちろん小金井の二郎ラーメンも知らなかった。そしてあたらしい自宅も、聞いたことも無く全く縁もゆかりも無い場所に決めてしまった(しかも築46年の古い民家だ)。普段は仕事関連のクライアントに「ちゃんとリサーチしましたか?」とか「地域属性を調査したら?」などと、アートディレクターらしいことを言っているのにねぇ。でも実は馬喰町の店も特に縁があった訳でなく、ほぼ「通りすがりの直感」。結果としてそこに行ったからいまの縁が生まれ、どんどんと数珠つながりに広がってきたといった感じなのだ。
思い起こせば約16年前、僕があたらしいデザインの仕事を求めて単身で上京した時もそう。大阪で経営していたデザイン事務所の社員たちを置いて、ある日ひとりで東京に出ることを決めた。その時は「この先は絶対に東京で活躍しなきゃみんなを食べさせられなくなる」と本気で思っての行動だった。そのことを仲の良いクライアントに話すと「前ちゃん、東京でデザインしていくなら青山か表参道あたりで事務所構えないとダメだよ。上手くいくか倒産するか、東京を舞台に本気で戦う覚悟を東京のクライアントに見せないと」と言われた。
社員に贅沢なところを見せたくはないから、大切な書類の段ボール1つとMacintosh 1台だけを持って深夜に東名高速を飛ばした。言われた通りに渋谷区神宮前4丁目(いまの表参道ヒルズの裏)に事務所を構え、机の下でひとり寝泊まりする毎日。営業をして仕事が来るまでには約1年も掛かってしまったし、結果として沢山の大切なモノやヒトも失ってしまったが、いまはあの覚悟が正解だったのかもなと思っている。
話が journeyの記事アップ停滞と関連性が無いのは承知の上。ただそんなこんな状況でも仕事に恵まれて、どこに居ようとも何気ない毎日と出逢いが続いている事が、結果的には自分にとっての journey なんだよなぁと言いたかった訳で。
[文:前田義生]