【沖縄】コザにて
aug.2016
コザを訪れたのは、1年以上ぶりだ。
RND_輪土 第六話の旅で訪れて以来。そうか、もうそんなに経つのか……。
コザの街はこの1年で少し様変わりしていて、古い建物(恐らく1950〜1970年代のコンクリート建築)がかなり取り壊されているように見える。
今回は某流通関係の企業内で終日缶詰の仕事だったから、観光とは無縁。というわけだから、仕事を終えて宿へ戻り、喉を潤してくれるビールを求めて裏通りへと向かうのが一番の楽しみとなる。
そうそう、僕は宿を選ぶ時に、あえて “ネット予約できなさそうな” ところを選ぶようにしている。理由は簡単、静かで落ち着くから。宿の形態は場により様々だが、まぁ、屋根があるだけでありがたいというのが本音で、ぶっちゃけ、別にテントでも良いくらいである。
どうせ酔っぱらって部屋に帰り、寝るだけなのだから、それで良いのだ。
さて、話は戻って夕食のこと。
コザの繁華街と言えば中の町の社交街あたり。実際に商店街内はずいぶんと店が減って、いわゆるシャッター通りの様子。
それでもミュージックタウン音市場のあるゴヤ十字路の付近は若者が多くて、音市場の館内にも酒場があるから幅広い年齢の人々を見かける。
我々も中の町で軽く喉を潤したが、でもどうせならと、久しぶりに中央パークアベニューまで足を伸ばすことにした。
以前は『BC通り(ビジネスセンターの略)』と言われた、元は白人のための歓楽街。そんなに遅い時間でもなかったが残念ながら開いている店は少なくて、1年前と比べても寂しい通りとなっていた。辺野古のことや例の暴行事件の件もあり、もうPay Dayで軍人が溢れる……という時代ではないのだろう。
たまたまピザ屋が開いている。個人的には普段なら絶対に入らないし、食べないであろうピザという食べ物(酒のアテになります?)。ドアを開けて、『ピザを食べなくても一杯引っ掛けるだけでもいいですか?』と尋ねると、ガタイのいい白人男性が『welcome!』と迎えてくれた。
カウンターに座り、ビールを注文してから先のガタイのいい男性(オーナーのスティーブさん)に話しかけると、30年前に米軍を退官してからここで店をしているのだという。ほー、酒のつまみに昔話を聞かせてと言うと、ここ30年間の街の移り変わりや嘉手納のことを話してくれたが、「過去は過去、いまは良くないよ全然ダメ」と笑う。
せっかくなので、とポテトフライを頼むとこれがなかなかに旨い。話が弾み、さらにもう一杯ビールを追加するころには同行のセガミは既に酔いつぶれていて、スティーブさんも随分と心配をしてくれたが、僕は「no problem!この女性はいつも暫くすると復活するんで、大丈夫ですよ」と支払いをして店を後にした。
とはいえ、翌朝。
自分も頭痛がひどく呑み過ぎた感がある。
Aサインの施設だったという安宿は、ロビーやカウンターまわりがパンフレットや新聞などで雑然としていているものの、肝心の部屋はアメリカンな装飾で、古くはあるが不潔な感じは全くなく、むしろ快適だった。出発の支度をして鍵の返却をしに階下に降りると、オーナーの男性が「時間ある?まぁ、パンでも食べてって。コーヒーもあるからさ」と、奥の食堂に案内してくれる。
作業服を着た先客の男性は、テレビから流れる東京の交通情報を見つめている。
オーナーが熱々のゆで卵とコーヒー、そして焼きたての食パンを運んでくれた。
「よく寝れたね?」
「はいもちろん、ぐっすりです」
「それが一番さぁ」
パンにバターを塗る頃にはセガミもテーブルにつき、ブラックコーヒーのサービスを喜んでいる。
「さぁ、マエダさん。たっぷりチャージ(麦酒を)したんだし、今日も頑張りましょうね!」
昨夜の呑み過ぎをものともせず、セガミの朝はいつも晴れやかだ。
宿を出ると快晴のコザ。振り返ると美しいアメリカンな意匠の宿。いつまでコザはこの佇まいを、この空気感を残すことができるのだろうか。このまま沖縄も、どんどん「東京」になっていくのだろうか。
それは良いこと? 悪いこと? いやいや僕たちにできるのは、この場所の移り変わる「いま」を記録に残すことと、そして「この街の良さ」を他所者目線で語り伝えること。そんなことを考えていたらすっかり頭痛も消え失せて、自然と仕事モードにシフトしたのであった。
[文/写真:前田義生]